2003 10/4 土曜日 12時40分 シューベルトについて。

私は、シューベルトと聞くと、まず思い出すのが「未完成」「冬の旅」ピアノ習する人は、必ずといっていいくらい「アンプロムプチュとモーメントミュージカル」にはお世話になる。 2番、4番は有名ですよね。

彼のことは、ずっと気になりながら深く調べたことがありませんでした。 今日から、少しづつ書いていきたいと思います。私の幼い時に、すでに古い映画として紹介されていたんですが彼の自叙伝映画を見た記憶があります。恋人にセレナーデを歌っている彼が印象に残っています。 どういうテーマで書いていくか今日は、キーワードを書いてみますね。 

生と死を見つめた31年の生涯に生み出された豊かなメロディー、はけ口のない悶々としたエロスの甘美な夢想と衝動、死となじみ戯れることで生きる意味を追求、死と孤独の冷たい相貌を凝視、孤独な魂同士の「星の盟約」・・・・いよいよ、明日からです。お楽しみにね。
本日は予告でした。 ^_^

2003 10/5 日曜日 13時2分 シューベルト1生と死を見つめた31年間。

シューベルトの生涯は大変短い。31年。実質的な作曲活動はわずか、18年にもかかわらず、生み出した音楽は、1000曲を越える。無尽蔵にメロディー豊かな作品が次から次へ流露し、彼が生き続けてたらその数はどうなっていたのでしょう。

シューベルトが、後世に残る決定的なブランドを得たのは、1823年前後からのこと。彼は25歳になっていて世を去るまでわずか5年しか残されていなかった。この5年間に最良の作品がぎっしり詰まっているそうだ。転換点となった1823年は、シューベルトの危機の年と呼ばれている。彼が梅毒に罹病したと分かったときである。梅毒は最後に脳を侵されて死ぬ恐ろしい病気で彼は絶望して死を考えたそうだ。

それまでの彼は〜そそ、彼の生み出す音楽は、友人たちとの交友の中で、主として彼らを楽しませるために、あるいは作曲家として名をなし、裕福になることを目指して作曲されていた。

ね? 先日 いい作品には、必ず死の影があるって横尾忠則さんが、言っていらしたでしょう? こんなときにも、感じちゃうんです。

では、これからお買い物に======☆(((((((((
2003 10/6 月曜日 11時55分 シューベルト2 
はけ口のない悶々としたエロスの甘美な夢想と衝動


シューベルトは病をきっけけに、迫り来る死を前にして生きる意味とは何かを考え
始める。
この死と孤独にどうしたら打ち勝つことが出来るか?たとえ克服できなくても、それとどう親しみ、馴染んでいくことができるか、その追求に作曲の筆が向かっていった。
その予感は、1822年の未完成交響曲にすでにきざしていた。
彼は、それまで6曲の交響曲と4曲の未完成の交響曲を生んでいたが、それは、すべて習作的色合いから抜け出せていない。今日、一般に第8番とナンバリングされている<未完成>にいたってはじめて、シューベルト独自の刻印をおびる交響曲が生まれたのである。
この交響曲は性的オブセッションがわだかまっており、はけ口のない悶々としたエロスの甘美な夢想と衝動がこの曲の核心をなしている。当時、彼は実際の生活で性の衝動に思い切って身を委ねたのであろう。その代償が梅毒の罹病となってあらわれたのであろう。 ということなんですが〜。

凄いこと書いてしまって・・・これが人間の本来の姿なんでしょうかね?
芸術家は本能をかくせないのかしら? 欲望とかが前面に出てそれと向き合う力も
そなえているのでしょうかね? 正直な生き方だと思うのね。人生は1回しかないんですもの。やりたいだけやったほうが私もいいと思う。 あははは〜さてと、やりましょやりましょ。。。ん?>家事です。
☆⌒(*^∇゜)vマタネ

2003 10/7 火曜日 12時25分 シューベルト3 死と馴染み戯れることで生きる意味を追求

病と死を意識したシューベルトは、梅毒で汚れた身体を水に浸って洗い流そうかのように、連作歌曲集<美しき水車小屋の娘>を作曲する。

ここには、自殺願望も響き出てて、どうせ死なねばならないのなら、美しい牧歌的な風景と小川の澄んだ水の中で浄化されたいと念ずる。死とそのような形で親しみ世を去りたいとするけなげな思いが切なく響く曲だ。当時は産業社会が発展し、都市が膨張し始め、牧歌の時代は滅びつつあった。また、シューベルト自身も未来への期待に満ちた輝かしい自分の青春が終わり、死の心構えを始めなければならない転換期に立っていることを意識していた。この歌曲集に浮かび出ているのはその「滅びの美学」である。

しかし、シューベルトは、自己破滅の甘美なナルシシズムにいつまでも浸っていることなく、もう一度気力を奮い起こして生きる意味を自分なりに追求し始める。その一つの重要な成果が弦楽四重奏曲「死と少女」だろう。
とまぁ〜このようなことを調べました。あと2日ほどお付き合いくださいね。

そそ、シューベルトって名前が有名な割には、あまり病のことは知りませんよね。やっぱりマイナーなイメージのことだからでしょうか? 今だったら治るのにね。かわいそうに時代が〜〜〜しかし、追い詰められた人の心境って。。。
たまたま、彼は音楽という自分の心の表現場所があったからこうして、いつまでもその軌跡が残るんですが、そういうツールのない人は辛いですよね。
作家などは、一番表現しやすいのでしょうかね? 太宰さんなってもそうかもね。ではでは。。。また、明日   ☆⌒(*^∇゜)vマタネ
2003 10/8 水曜日 12時15分 シューベルト4 死と孤独の冷たい相貌を凝視

シューベルトは、<冬のたび>で、逃れるすべのない死と正面きって対決する。身も心も冷え切って、死と殆ど同化しながら、それでもまだ人間として生き得る道があるかどうかを、問おうとしている。

ここでは、死と孤独はイコールの関係にある。我々は、ふだん、それを意識するのを避けて生きている。しかし、死はいずれ誰にも容赦なく訪れる。シューベルトは死と孤独の冷たい相貌を凝視しながら、我々にそれとの馴染み方を伝授してくれる。生きるすべのないような極寒の地では、その冷たさが逆に人間同士をたがいに引き付けあうよすがとなる。真のヒューマンな人間関係は、その認識からはじまるに違いない。

とまぁ〜かなり、中に入り込んでいきますが、私は、ここで話すのは初めてかもしれませんが国語が苦手でね。ここで言う事もないのですが。。。
高校生のときにどうしてもそれを克服しようと思い私にしては膨大な読書をしたんです。(*≧m≦*)ププッ そそ、そこから受験問題に繋がらないかなって?

(*/∇\*)キャッ そのときにね、柄じゃないんですが、芥川、川端、ヘッセ、あぁ〜もう、忘れたわぁ〜 ;_; 自殺願望の強い作家のしかも死ぬ直前の作品なんてのに出合ったんです。そのときに、異様な感情が私に走りましたが、先日の日記に書いたあの横尾忠則さんの名言が、またまたオーバーラップするんですね。シューベルトもしかりです。 いい作品には、死の影が見えるんです。
☆マタネ

2003 10/9 木曜日 10時10分 シューベルト5 孤独な魂同士の「星の盟約」

さぁ〜本日でシューベルトおしまいです。今日だけお付き合いくださいね。
彼の音楽は、仲間同士の友情の輪の中から生まれてきた。しかし、シューベルトは友情を保ちながらも、心の芯では孤独と死を見つめ、友情を越えて出て人間そのものの生きる意味を問い続けた。その果てに、もう一度ヒューマンな友情と人間愛のありようが見出される。

彼の最後のピアノ・ソナタ第21番はその試みと言える。それは、星の盟約と名づけられるかもしれない。夜空の星星は離れ離れに孤立している。しかし、全体は微光のの美しい交響をなしてまたたいている。孤独な魂同士はこれらの星星のように沈黙していて、互いに連携しあうことはないかもしれない。しかし、このような魂の持ち主がこの世に大勢いるのを知ることは心の支えとなる。シューベルトは、孤独な魂の友として、いわば星の盟約のようなユートピアをここで夢見ている。そのとき、孤独ははじめて喜びとなる。彼は、ここで死を乗り越える生の意味に達したのである。

C= (-。- ) フゥ  けっして楽しい話ではありませんでしたが、一番逃げてはならない人間の宿命でしょうか? 永遠のテーマにちょっと、足を止めることができたような気がします。
シューベルトのソナタで厳かなのがあるんですが、かなり力強いでした。
こういうそのの人の環境を知ると、又音楽の聴き方も変わりますね・・・
では、明日から又もとの♪音ちゃん♪に変身します。