TITLE:もう いくつ寝るとお正月??2002年12月27日 金曜日 13:30:1

お正月嫌いは、すでに有名になってしまったかしら?それでも、新年を迎えるということは、どこか神々しく気持ちもひきしまる感もある。世界中クリスマスカードには、We wish you a merry christmas and a happy new yearと、あるものね。どこの国もクリスマスとともに新年は祝うのですね。

さて、神社でお参りをしてその年の無事を祈り、一家そろって御屠蘇を飲む。門松に雑煮、鏡餅、新年を迎えるのだから、きっとそれぞれに願いや縁起かつぎが隠されていると思う。お年玉も気になる。

さて、明日はそんなことを探ってみようと思っています。お楽しみに。


TITLE:今の正月はまだ、短いそうです。 2002年12月28日 土曜日 13:23:10

江戸時代の正月はね。前年12月13日の「煤払い」から正月行事が始まり、新年を迎えて更に1月14日の「どんどん焼き」までをお正月といったそうです。

煤払いの後、門松や松飾をこしらえて、家の入り口に飾る。そして25日頃に「もちつき」をして鏡餅を備え、年越しのごちそう、おせち料理を作り、年越しそばを食べる。そして、新年を迎えるのだそうです。
これって、元旦に家々に訪れる年神様という神様を迎えるためだったのですって。
な〜んか、この辺が私のお正月敬遠症候群の原因がありそうな気配です。
TITLE:お正月part3 2002年12月29日 日曜日 13:37:08

今も、お正月には鏡餅は飾るが、わざわざ餅つきしてお供えするという人は数少なくなった。大抵が真空パック。御節もスーパーで(もれなく私もそうです。)事がたりるようになってきたし、大掃除も大晦日に「ササーっ」というタイプが多いようである。これでは、とても煤払いとは言えない。
昔は かまどで薪を燃やしたので、当然家中煤だらけ。。。年神様を迎えるのだから、普段は滅多に掃除できない天井の煤まで落とすところから「煤払い」が行われるようになったそうな。。。
では、煤払いの続きは また 時間をおきまして〜

すす払いに使った竹の竿に藁を付けた専用の天井用の道具が使われ、使用後にはちゃんと、しめ縄を張り1月14日までのどんどん焼きまで保管したそうな〜〜そのすす払いの日には、山から松ノ木を持ってくる「松迎え」という行事もあったらしい。門松、松飾をこしらえるわけだ。
冬になっても緑を失わない松には神が宿っているんだそうで〜
永遠の命のしるしであると思われていた。そのため、新年になると天空から降臨してくる年神様の目印にと松を家の玄関先に飾るようになったのである。だから。1年中、神がいるとされていた天皇家では門松をたてないのである。。。。ですって〜〜〜

お勉強になりましらでしょうか? 私は、勉強になりましたです ♪

今日は、ガス台、ガスフードを綺麗にしました。昨日はクリスマスツリーをしまいました。あとは、窓拭きがあります。どうしましょうね。あ、やっぱりしたほうがいいですかね。

TITLE:鏡もち 2003年01月01日 水曜日 14:48:41

さてさて、紙芝居のはじまり〜〜
なんちゃって、元旦は、ちょっとだけよ〜♪
もちつき、鏡餅も年神様に備えるためだった。目印の松でその家にやってきた年神様が、まず家に入り宿る場所こそが「鏡餅」なのである。昔の丸い金属製の鏡を形どった丸い餅のことである。
鏡は三種の神器とされるように、神が授けた神聖な道具である。人の心をも映すとか、目に見えぬものまで映すとか、魂を吸い取るとまでいわれているそうな。
鏡のような澄み切った心持で、お正月を迎えたいという、人々の心の表れがこの形の餅を作り、神様が宿る場所は玄関だったのでしょうね。

では、またね。。。

TITLE:お年玉のこと。 2003年01月02日 木曜日 19:52:44

あのね。今こそ、四角い切り餅が多いが当時は、鏡餅にならい、もちは、すべて丸められていた。鏡餅の前に丸めた餅を供えてその餅と一緒に野菜などの具を雑多に入れて年神様とともに頂くという風習から出来たのが雑煮である。
当時は、その丸い餅を供えた後に食べることを「お年玉」と呼んでいたの。

さて、これが、どうして現在のお年玉になったのかしらね?明日をお楽しみにね。お休みなさいませ。

TITLE:お年玉 22003年01月03日 金曜日 19:55:50

そうです。年神様に供えた丸い餅を頂くことが子供たちが待ち望んでいたお年玉だったのです。
つまり、かっみの魂をわけてもらうことから「落とし魂」あるいは「落とし霊」、又丸い玉状の餅を頂くことから「落とし玉」となって子供に、お金を渡す風習になったのね。
しかし、滝廉太郎の「お正月」のなかには、たこあげや、こままわし、羽付がの子供の好きな遊びがでてくるのに、どうして「お年玉」のことが出ていないのでしょうね。 では、明日をおたのしみにね。

TITLE:お正月の歌の歌詞にお年玉がでてない?2003年01月04日 土曜日 13:23:41

実はね、この風習はなんと、戦後の貨幣価値が大きく変わる新円切り替えの時期からお目見えしたものだったの。この歌ができたのは、1900年(明治33年)。つまり、「お年玉」が、子供にとって、お正月最大の楽しみとなる50年も前に作られていた歌なのである。

ってな、ことでした。では、また明日ね。
今日は、ちと微熱気味。ごめんなさいね。おやすみ。

TITLE:今日は、七草粥ですね。2003年01月07日 火曜日 13:03:27

「セリ ナズナ ゴギョウ ハコベラ ホトケノザスズナ スズシロ これぞななくさ」と歌われた春の七草。
この七草をかゆにしていただくのが「七草かゆ」。
かゆを食べるという風習は室町時代に定着したといわれています。
七草かゆを食べると邪気を払い、その年は無病息災といわれ1月7日に食されています。
もともと7日は「人日(じんじつ)の節句」といわれた五節句のひとつだそうな。
「人を大切にする日、人を占う日」とされていたようです。
俳句に「なずな打つ」という季語があるように、古くは七草の菜を調理するのに、まな板の上で音を立お囃子(おはやし)に合わせて七草かゆを作ってきたそうな。七草を調理するのはその年の年男。一年豊作を願い、健康であるよう、よい年であるようにとこの風習が生まれてきたのです。このお囃子に合わせて七草かゆを作る風習が今でも受け継がれている地方もあります。

七草のなかでもセリは香りもよく、生でも、またおひたし、鍋などでも食されます。セリには胃腸を整え貧血や出血を治し、熱をさげるという効能があります。ナズナは目、胃、肝臓の機能を整え、スズシロはビタミンはもちろんのことコレステロールを下げるといわれています。七草は寒い冬、ビタミンをたっぷり補給してくれ、体調を整えてくれます。水辺や畦(あぜ)などに生えている越冬してきた七草の菜は、
まさに日本のハーブ。生活に密着した伝承的な知恵といえます。と、いうことでした。