TITLE:いま、又ショパンがブーム? 2003年03月03日 月曜日 13:53:35

いつ聞いても、新鮮で綺麗なショパンですが、戦場のピアニストで又もやブームになりそうですね。

春、新しい出会いを控えた「卒業」の季節。この時期によく耳にするのが、ショパンの別れの曲。
この出だしから始まる旋律は、ショパンの作品の中でも特に美しく印象的なもののひとつ。ワルシャワ音楽院を卒業し、祖国ポーランドと永遠に別れを告げた20歳前後に書かれた「12の練習曲」のなかには、ワルシャワの革命鎮圧への憤りと絶望から生み出されたドラマティックな名曲「革命」がありますね。 
突然、ショパンについて書きたくなりました。明日も少し書きますね。お楽しみに。


TITLE:少しだけショパン2003年03月04日 火曜日 13:45:48

昨日の続きです。
ウイーンを経てパリに落ち着いたショパンは、ピアノの演奏で社交界の花形になりました。このころの作品には、彼が生涯に20曲以上残したワルツの中でも最も華やかな「華麗なる大円舞曲」などがある。一方、25歳のときに書いたワルツのタイトルは「別れ」。
幼馴染のマリア・ヴォジニスカと恋に落ちたショパンが彼女に贈った作品として知られている。愛を誓い合うが周囲の反対で叶わなかった結婚。優美で憂いを含んだこの名曲をショパンはその思い出のためか出版しなかったという。
えっと、MIDI置き場のクラシックピアノに、おいてあります。参考になさってくださいね。

TITLE:少しだけショパン。 2003年03月05日 水曜日 14:16:00

その翌年、ショパンはリストの紹介で女流作家のジョルジュサンドと運命の出会いを果たしました。奔放で恋多きサンドに、最初は違和感をもったショパンだったが、やがて彼らは惹かれあっていく。彼は結核をわずらっていたがサンドの献身的な看病で健康を取り戻し「雨だれ」などで知られる24の前奏曲を完成させた。
結婚は、しなかったものの、2人の関係は約9年続いた。サンドの故郷ノアンとパリで営まれた二人の共同生活は、ショパンの円熟した数々の作品を生み出すことになる。
また、明日ね。


TITLE:少しだけシリーズ>ショパン 2003年03月06日 木曜日 15:29:3

祖国ポーランドの詩人の作品から着想を得たバラード第3,4番や、ポーランドの民族舞曲「ポロネーズ」を力強く壮大に発展させた「英雄ポロネーズ」などは、ショパンの「血」と民族的な精神を感じさせる傑作といっていいでしょう。
36歳でサンドと破局を迎え、ノアンを去ったショパンは自らの健康も失い、39歳でその生涯を終えた。20歳の旅立ち、2度と踏むことのなかった祖国の土。最愛の人とのめぐり合いと離別。

ショパンのピアノの作品には、そんな数々の「出会いと別れ」が生み出した深い心の動きが刻み込まれているのかもしれない。とまぁ本当に、そうですねぇ〜


TITLE:ショパンのワルツって。 2003年04月22日 火曜日 13:34:38


少し、ショパンもそろいましたので一寸だけ書いてみます。

彼のワルツは性格の上からいって、2種類に大別されるであろう。一つは実際の舞踏曲を理想化したものであり、他はワルツの形式を借用した1種の叙事詩である。

実際の舞踏用としても、それらがヨハン・シュトラウスなどよりもはるかに優美、高雅であったのは当然である。

したがって実際に適さないものとなったのも至当である。シューマンのいう「ショパンの肉体と心が躍り上がるワルツ」あるいは「もし躍るのであるならば、相手の婦人の半分は少なくとも伯爵夫人でなければならない。」のは、それである。

さて明日は、彼の伝記と平行して、一緒に研究しましょうね。

うんと、今日はお天気もいいし、外に出たい気分ですね。おっと、時間がないです。これから仕事前の家事の準備に入りまぁ〜す。


TITLE:もう、こんな時間です。 2003年04月23日 水曜日 14:16:29

ショパンの伝記によると、青年時代にワルツの中心地ウイーンに2度訪れているそうだ。

その当時この都ではヨハン・シュトラウス父子などの新作ワルツがたえず発表されていて、市民の間に大きなセンセーションを起こしていたにかかわらず、ショパンはそれからの流行にあまり耳をかさなかったと言われる。

したがって、この頃彼はウイーンから両親にあてて次のような文章をしたためている。

「本当にウイーン風だと思われるものには、何一つぶつかったことがありません。だから、わたくしは、未だにワルツが弾けないんです。」

この文面からするとショパンの性格の中にはウインナワルツとは異なったテンペラメントがあったのであろう。

では、どうして彼自身嫌いなワルツをかいたのであろう?

明日、なぞを解きましょう。

TITLE:昨日は2回は無理でした。 2003年04月25日 金曜日 14:00:0

それでは、ショパンです。

彼は、ワルツそのものが嫌いなのではなくて、ウイーン風に俗化されたワルツが彼の肌に合わなかったのであろうか? その意味からすれば、ショパンの筆になるワルツは、実用化を帯びたものさえ。やっぱり芸術的に醇化されたものであったし、その上パリ風の匂いのするソフィスケィートされたものだということになるであろう。

他面、実用性のものでない叙事詩的な
空想の部類に属する彼のワルツには、純粋なワルツのリズムよりもむしろマズルカのリズムにちかいものがしばしば見出される。それは、もちろん彼の民族性がしからしめたからであって、そのようなときにはスラブ人種特有の憂鬱な情調が濃厚にそのうちに漂っていたことが見過ごされない。

さて、このあとも少しお話したいんです。
珍しく出かけます。 では、夜遅くまで留守します。 


TITLE:もう、こんな時間です。。。2003年05月11日 日曜日 13:49:42


休暇の日は、あっという間ですね。
HPのほうも、なかなか進まないし、少し音楽をしてみましょう。。。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ショパンのこんなメッセージを目にしました。 ご紹介しますね。

「外科医に、横にいてもらわなければ練習してはならぬ。」と批判を受けた当時の常識を超えるエチュード。
ショパン作品の全てはエチュードに凝縮されている。

リストは、しばし家に姿を隠してさらったという。シューマンは妻クララの演奏はショパンの上をいくと言った。

故郷ワルシャワを去る青年ショパンの心には、いずれ作曲するであろう数々の大曲のアイデアがすでに存在していた。無限に広がるショパンのピアニズムの実現には、彼自身が練習曲を作るしかなかったのだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ショパンのエチュードは打楽器出身の私は、到底手がけませんが、本当に素晴らしい曲ばかりですよね。

でもね。。。ちょっと不思議なことを聞きました。
jazzの先生曰くショパンはコードが簡単ておっしゃるんです。
え?と思って譜面を見ればなるほど。。。そうかもしれない〜〜
調性が、シャープやフラットが多いので混乱してましたが、確かに基本の和声で、できているんですね。
もっと、よく見てみましょう。では,またです。^_^


TITLE:久し振りにね。2003年05月19日 月曜日 15:01:11

今日は、ショパンをずっと聞いていました。雨が降って気持ちが沈みがちなときにはショパンの独特な憂いのあるメロディが胸をうちますね。やっぱり、ピアノの母です。 感激です。

所用があって、車中でずっと聞いていました。

主にノクターンでしたが、ポーランドだなって思いました。

先日の映画 戦場のピアニストを何故か思い出してしまいました。

あの映画で奏でられているショパンの作品に対する接し方、うんと。。。
弾き方というべきでしょうか?

ポーランド人の匂いがしました。私は、日本人ですが、その弾き方に感動し、しばらく いい気持ちでいましたもの。。ポーランドて本当にいいなって思ったりしました。よく考えればショパンがそうしただけのことですね。 それを受け継いで伝承していったのでしょう。あぁ〜素敵な1日の始まりでした。

では、また。


TITLE:アップ曲について。 2003年06月28日 土曜日 20:39:06


ショパン 嬰ハ短調OP64-2

ここで、ちょっとよくOPてなに?と、聞かれますので。
これはね、ラテン語のopusで作品という意味です。複数形になるとoperaになるのです。不思議〜

では、この曲について。
嬰ハ短調。変化に富んだ作品で、しかもショパンのポーランド的な情熱が強く表現されているところから、最もショパン的なワルツとされています。

第一部の憂いに満ちた暗い悲嘆、第2部の空回りするような力ない音型部。

トリオの重苦しい気分におおわれた静けさからなる。

とまぁ〜こういう説明になりますが〜。私は、この曲は暗くても聞いたあとに残る印象は、いつも曲の中に浸りきって居心地がよいのです。なぜでしょうねぇ? 叔母が、よく弾いてくれて私もいつか、弾けたらなって幼心に思った曲です。 私は打楽器へ進みそうになっていたので、この曲は縁遠かったのですが、いつもいつも何かあるとこの曲の譜面を何気に広げていました。 ということで、ショパンは大好きです。 又です。