TITLE:マリンバから始まったけれども、音楽ってね。*^_^* 2003年06月30日 月曜日 14:08:58

いつもいつも、そばにいてくれるのが音楽と思っている私。

嬉しいときも楽しいときも落ち込んだときも何故かお供しててくれます。 中学生の時、修学旅行で買った八橋の話。

私は、ピアノの先生にお土産を買った。八橋。。。そう、あの怖い先生にも気持ちが通じるかなって思って、いつも怖いけれども本当は優しいんだと心に言い聞かせてレッスンに行った。3台もグランドが置いてあるお宅だが一番古いピアノのある部屋へ、その修学旅行のときには通された。その日は修学旅行へ行ったせいもあって練習量が足らなかった。でも多目に見てくれるのかと。。。これは甘かった。

「貴女は音楽をする資格がありません。この音は何度注意したら直すんですか?」と。!

一瞬、目の前が暗くなって何も聞こえなくなった。しばらくすると象牙の鍵盤に涙が意識のないまま落ちていった。 気が付いたら、今度は譜面が読めないほど目がビショビショ。
八橋を「お土産です」と一言、やっとの思いで言った。先生は「あら」という顔を。動揺したようにお見受けした。

こんなことがあっても、誰にも言い出せなかった。父母は私のレッスンの終わるのを心待ちにしていたから。

で、帰ってくると「お疲れさま、早く夕飯を食べて〜お風呂に入ってね」

それから今度は学業に勤しんだ。
こんな生活はしたくないなぁ〜*^_^*と思いつつ過ごしていた。

ここまでは、暗い暗い音楽のイメージである。でも、そのあと〜
私は、あたたかい先生に出逢えたのである。 以前も書きましたが、明日はその先生に関して話したいと思う。

比較論はいけないが、どうしてそういうふうになっていったか? 少し理解は出来るのではないかと・・・

なんで今日は、こんなことを書いているのであろう!

他の教育にも言えることばかり。参考になればいいですね。
何が、言いたいかは明日以降かな?
では、また明日。

TITLE:気恥ずかしいが(*´σー`)エヘ2003年07月01日 火曜日 16:03:19

私は、打楽器科を目指して音楽に接していた。 ピアノはほんの片隅的な存在だった。でも小学校のときもピアノで伴奏をしている人をみると、いつか弾きたいとおもっていたのである。それだけ好きだったのかもしれない。 マリンバを通しては心を教えてもらった。 マリンバの先生は小学校1年生から中学3年生まで教えていただいた。 先生は男性。それこそ怒るということはなかった。優しいということもなかったが、時々「あらぁ?」と思うことがあった。ある日、「荒城の月を弾いてごらん?」と言われ、好きな変奏曲でなんとアンダンテから3拍子になって最後は和音のトレモロ、そして極早いprestになって終わるのである。これを3年生のときに復習として弾かされた。 すると、先生は
ご自分の写真にサインをして○ゆりちゃんへと言ってくださった。そのことが、何を意味しているか分からなかった。しかし、写真の裏に言葉があった。「よく弾けたね」そしてサイン。

私は、胸が熱くなった。もしかして、これって褒めてくださってるの? 家へ帰って母へ話したところ「良かったね。これは先生の心に演奏がしみたのね?」と言ってくれた。

私は、タイムリーに褒めてくれる母の言葉でどれほど練習しただろうか?
私の父母は、褒め上手で天才(*≧m≦*)ププッ 今思えば調子いいのです。

皆様も、お子様にこの手をお知らせしますね ♪

うんと、このマリンバの先生も素晴らしかった。でね、昨日言いかけた優しい先生。 素晴らしい先生、もう一人いらっしゃるんです。その先生が私の一番相性のあった先生だったかもしれません。 もちろん、マリンバの先生も大好きで大人になってからも遊びにいったりしてましたもの。
また1日延びちゃいましたが、ちょっと幼き頃の先生紹介版になっていますね。 ま、ちょっとお付き合いくださいませ。

ではでは。

TITLE:作曲家の先生だった。2003年07月02日 水曜日 18:08:04

彼は、かなりの年だった。大きな手。
そそ、戦場のピアニストの主人公と同じような指の長さで、しっかりとした指なんだけれども細く長い。皮膚の色は赤っぽくて毛細血管が浮き出てるが如く全体に赤っぽかった。

ピアノのレッスンのときは広い洋間に2台グランドがあって奥の間にもあと、2台全部で4台あった。

洋間で教えていただくときは、彼は部屋の一番後ろに座るのである。

カンカンと響く板を右のテーブルの上に置いていて、メトロノームの代わりに鉛筆の底で叩いてくれるのである。
それが良く響くの〜〜弾いていると、テンポがkeepできるようになる。

音が違ったときは譜面など見ないでも「そこの音、違うよ。Gだよ。」とそれだけを教えてくれる。 じっと譜面を見つめて弾きなおす私。。。

「そうそう!!今日は、練習たくさんしてきたね?」って大きな目をギョロ〜ちょこっと微笑んでいる。
それが彼の最高の私への褒め言葉と励まし。

嬉しくって嬉しくって毎日、遅く始めたピアノに興味が出て行った。

今日はここまで。!
マタネ

TITLE:こんにちわぁ〜2003年07月03日 木曜日 20:56:47

私の大好きな先生の話partU

♪Ю―(^O^ )ピンポーン
押すと、先生はかなり裕福な生活をしていらっしゃるはずなのに、短パンをはいて何だかみすぼらしいシャツをお召しになって玄関に現れた。そんなかでも、彼の独特な優しさがいつもいつも私を心豊かにしてくれた。ご自分がお食事で時間がとれないと、ここで練習しててねっとイスの高さを見てくれて「いいね? うん、んじゃスケール弾いててね!」何をおっしゃっても、私には耳に、優しく響いてしまったのである。最初のレッスンのときの印象かもしれない。

最初はって言いますと〜。
その怖い女性の先生の紹介でした。
バッハインベンションを全部暗譜してたんですが、それを弾くことになってて緊張していました。
怖い女性の先生はその男性の先生が○番を弾いてというと、そばから「弾けないでしょう」と間髪を入れずに言葉をはさんだ。男性の先生をI先生としよう。I先生はその言葉を無視して「うん、そうね。」それだけ言って私との話をしてくださった。女性の先生をK先生としよう。K先生は、途中でお帰りになった。 I先生は私に向って「貴女、音楽が本当に好きなんだね」とおっしゃった。 何を思ってそう発言されたかは、分からない。
しかし、どこも褒めることが出来ない場合での褒め言葉を探してくださってのかもしれない。

そそ、褒めると伸びるんです。
褒め上手ってのは、気分がいいですね。このことが現在の私のレッスンの原点です。怒られて嬉しいことなんてまずないです。怒られたら反発が残るだけで特に音楽なんてのは、いいものが萎縮してしまいます。このときから私は、打楽器に進むはずの自分の体内にピアノと言う楽器の存在が大きくなっていきました。しかし、始めたのが小学校4年生。ピアノ専門では遅いですね。それでも何も考えずに練習しました。案の定、追いつきません。でも人生長いので今まで続けています。おかげさまで、楽しむところまできました。 とまぁ〜こんなところです。
んでは、またです。^_^ゞ
TITLE:もう一人、素敵な先生が〜〜2003年07月04日 金曜日 14:43:17

声楽家の先生でした。女性でメッツォソプラノ。O先生と呼びましょう。彼女は長女でお父様がいらっしゃらずに、信じられないような小さなお宅に住んでおられました。そこに所狭しとばかりに縦ピアノ1台、あとは先生の自前の声があれば音楽はお部屋いっぱいに充満するのです。

彼女には聴音をお世話になりました。それまでは、もう一人あのK先生絡みのS先生でした。その先生はK先生からの引継ぎで私はあまりよい印象はもたれなかったようです。そんなときに、O先生に出あったのです。彼女は何とも温かいんです。 いつも心を感じるんです。だから先生のお宅へ行くときに道端に咲いているお花をちぎって先生に差し上げたりできました。先生は、きっと邪魔だったかもしれない花を喜んでくださって飾ってくださいました。

そんな会話の中からコンコーネを歌ったり、コーリューブンゲンをさらったりして、音がはずれると大笑いして楽しい音楽を体験させていただきました。

さて〜色々な、先生と出会って〜

ここまで書いてしまいました。
まだまだありますけれども、今回はここまでです。

総合して私の言いたいことは、どんな世界にも色々な人がいるということです。 偏見である世界の人々を決め付けてみるということは、大変危険だということ。10人10色です。
また、受け入れ側も色々な捕らえ方があるんですよね。 同じ事に出会っても受け入れ方が皆それぞれ違うんですね。まだまだ、経験不足な私

でも、これから どんなことが自分に押し寄せてくるか?いいことも悪いことも楽しいことも悲しいことも寂しいことも。ワクワク

人生を大きな視点で捉えていれば何も怖くないし、楽しめるのかもしれませんね。 では、皆さんも色々なご意見をお聞かせくださいませ。

メールをお待ちしております。

マタネ